相撲
若い日本人はもはや興味を示さない日本の国技
ある国で以前はあまり興味を持たれていなかったスポーツが、今やその国においてめきめき頭角を現してきている、というようなことも、現代社会においてはある。メディアの波、特にテレビとインターネットから間断無く押し寄せる波は、こういった現象をももたらすのである。
日の出ずる国においては、やはりサッカーも日本社会の体系(すべてが規定通りの様相に変化する傾向を持つ)と歩みを共にし、サッカーとはほとんど別物の観がある“研究材料”となり、スポーツのというよりも文化的な性格を帯びた鍛練になっている。そして私は実のところ、このスポーツの速度と闘争性は、日本人の持つ繊細で観想的で深遠な魂とは対照的な質のものであると思っているのである。
では、東洋におけるスポーツの鍛練は、西洋にどのように取り入れられているだろうか。例えば武道はずいぶん前から我が国においては評価されている。西洋は自分達の芸術(art)に、軍神マルス(Mars)の名を冠したMartial arts(武道)をも加える必要性を感じたわけだ。マルスはローマ神話における戦いの神であり、そして戦争を司る。したがって、武道を表すこの「マルスの芸術」という言葉は、戦いと暴力の訓練という不正確な意味を言外に含むのである。だが「空手」という言葉の漢字は、「からっぽの手」つまり「武器をもたない武装解除した手」という意味である。実際、空手の技術は中国の仏教僧院内で発明され、僧達の祈りや瞑想の最中に気が散ることを防ぐために利用されたのが始まりとされている。
文化が違うと、それぞれの文化に属する人々の体つきもやはり違ってくる。我々の物理的動きというものは、我々の体の構造に起因するのであるから、たとえばエチオピア人は走りにおいてほとんど無敵であるし、アメリカ人はラグビーにおいて、ブラジル人はサッカーにおいて才能を見せる。そして、そういう意味で、空手やその他の武道の鍛練は東洋人にしか真には享受できないであろう。とはいえ今や、西洋の各町や、田舎町でさえも、その地域に道場(ほぼ正確な空手、柔道や柔術が実践できるような)が一つも無いということはありえないだろう。上述のように例え日本人の師匠が最も重要かつ信頼に足りることは分かっていても…。
さて、しかしながら同じ武道でも西洋人が日本の国技である相撲を語る時、この競技が自分達になじみのない、あまりにもかけ離れたものであるために、興味津々の、からかうような目になるのである。最近ではイタリアでも世界各国から力士を集めて「ミラノ相撲オープン」が開催されたりしているのであるが…。西洋人にとってスポーツ競技は「身体の完璧と美」の上に成り立つものであるため、その対極にある力士の肉付きの良い体を見て西洋人は目を見開く。また、途方も無く大きな体つきのチャンピオン力士たちだが、その顔には柔和なほほえみをたたえている。であるため、このスポーツマンたちを見て我々は、リング上の格闘家というよりも、巨大だが温厚なペンギンを思い浮かべてしまうのだ。
彼らのその非常に太った体は、様々な種類の肉や野菜を煮込んだ「ちゃんこ鍋」をメインとしたたっぷりの食事と、そのあとの午睡によって作り上げる、努力の結実である。力士の卵である若い弟子たちの生活は「相撲部屋」(ほとんどの相撲部屋は東京の東部に集中している)の中で行われる。そして相撲部屋においては彼らは一日のうちどの瞬間も、決められた規則通りに過ごすのである。かつては、相撲部屋の門をたたく者は中学を卒業したばかりの地方出身者が多かったのであるが、今や角会も高学歴化が進み、その結果力士サラリーマン化が進み、大相撲がかつてのように魅力的ではなくなってきているとも言われる。
相撲という言葉の漢字の意味は「相互に殴打し合う」である。そして実際この競技の目的は、土俵(俵で作られたリング)内で格闘を行い、試合相手を土俵の外へ出すか、もしくは相手の足裏以外の部分を地に触れさせるかして勝利することである。二人の力士が対戦する時のルールは少ないが、しかしそれは厳格かつ、試合相手を心から尊重する気持ちを象徴するものだ。力士は対戦相手を握りこぶしで殴ってはいけない。相手の目の中に指を入れてはいけない。マゲを引っ張ってはいけない。胸や胃(みぞおち)を突いてはいけない。相手を裸にしてはいけない(相手の廻しを解いてはいけない)。一方、平手打ち(張り手)など、手のひらを開いた状態で相手を突くこと(突っ張り)は、相撲の技として認められている。
相撲の世界は一種のヒエラルキー社会であり、力士の地位を表す番付(順位表)にょって力士たちは何段階もの階級に分けられている。名誉あるトップの地位にあるのが「横綱」だ。力士番付における称号の最高位「横綱」に昇進できる者は、抜群の力量があるチャンピオンのみである。したがって、横綱に求められるレベルの相撲がとれなくなれば引退を決意しなければならない(横綱には降格はない。引退後は相撲の親方としての新しいスタートを切る)。江戸時代(1603〜1868年)初期から数えて現在に至るまで横綱はわずかに69人しか誕生していない。さてその力士の力量だが、肉付きのいい力士の壮大な体は確かに勝利に貢献するであろうが、それが勝利を支配するとは言えず、むしろ小さい体の力士の敏しょうな身のこなしやスピード感が勝ることもよくある。実のところ、相撲には力士の体重による階級分けは存在しない。
相撲は日本の皇族に好まれているスポーツで、皇室のお墨付きである。しかし、現代の日本の若者は相撲には見向きもせず、若い彼らはあまり伝統的ではない他のスポーツに熱中しており、今まさにサッカーなのである。一方日本国外では、特にオーストラリアやアメリカでは相撲人気が盛り上がり、近年(1996年)女子相撲も誕生した(新相撲と呼ばれている)。だがオリンピック委員会は依然、相撲をオリンピック種目として認めようとはしない。相撲は古代から現在までほとんどその形態を変化させずに存在する伝統あるスポーツであるにもかかわらず…。
相撲は神道に基づいた神事として成立したものである。二人の力士が対戦する時に多々の基本所作があるが、これらは神事の儀式に由来するものだ。相撲はおそらく5世紀に、収穫の神の怒りを鎮めるための聖なる踊り(大地を踏んで地の邪気を払う)として誕生したと言われている。神社のような形をした土俵上で勝ち力士が懸賞金を受け取る時の礼儀作法は、「みっつ手刀」(左、右、中の順)を切ってから受け取るというものであり、この所作は、日本の伝統的な信仰対象であるで三柱(みはしら)の神への感謝の意を表すものである。その他の様々な所作、例えば清めの塩を土俵に撒く、清めの水を口に含む(力水)、(節分には)観客に豆を投げる。これらは古い儀式を受け継いだものである。
また、日本書記(720年)において語られるように伝説の勇士、野見宿禰(のみのすくね)が相撲の生みの親とも言われている。野見宿禰は、垂仁天皇(すいにんてんのう。紀元前29年〜紀元70年とされる)の時代に当麻蹴速(たいまのけはや)と蹴りあって、その腰を踏み折って勝った勇士と言われ、相撲と力士の神とされている。
相撲の世界には、「自然」に敬意を払うしきたりがたくさんある。たとえば、力士のシンボルであるマゲは、その結い方がイチョウの葉に似ていることから大銀杏(おおいちょう)と呼ばれる。また、土俵の屋根の四隅からは四つの房が垂れているが、これは四つの季節を表している。力士の名前(しこな)も同じで、山、川、海など自然に関する文字が盛り込まれる。