美白は日本の美

日本の化粧品には、少なくとも奈良時代にまで遡る長い歴史がある。貴族の女性が「肌」を真っ白にするために白粉(おしろい)を使い始めた。平安時代になると白粉は広く普及し、『紫式部日記』と『源氏物語』においては白粉に関する実に多くの記述が見られる。白は「純潔」「優雅」「高貴な美」の色で
あった(画像参照)。
 女性の美しさが日本文化の中心となった江戸時代、佐山半七丸により『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん。編註下記)が執筆され(1818年)、当世風の化粧法について記したこの本においては「顔に塗る白粉」の仕方について次のように説明している。「ミルクのように一面べったりと顔を白くするのではなく、陶器のような滑らかな仕上がり、いわゆる餅肌にすべし」と。
 ちなみに、日本の伝統的な化粧品の一つに「ウグイスの糞」というものがある。ウグイスの糞は肌を白くするだけではなく、肌を磨き、汚れを落とす。そこでメーキャップ落としとしても使われてきた。他にも、緑茶、酒、米など麹酸を豊富に含むものが、肌を白くする化粧品の原料となってきた。
 白は、芸者と歌舞伎役者の顔の色である。まさに歌舞伎が、江戸時代の化粧の発展に大きく貢献した。例えば歌舞伎の隈取(くまどり。白塗り顏に赤と黒のライン。画像参照)が女性の「赤と黒の化粧」を生み出した。特筆すべきは京紅(きょうべに)の流行で、唇だけならず、瞼や眉毛にまでも使用された。京紅とは、貝殻に塗り重ねて乾燥させた高価な口紅で、紅筆につけて塗るものである。
 日本の化粧におけるもう一つの伝統色は黒だ。「かねみず」(鉄片を黒酢に漬けて作った溶液)で歯を黒く塗る習慣があり、それを「お歯黒」と言った(画像参照)。お歯黒は主に芸者や既婚女性、年配女性が施したが、虫歯から守る方法でもあったのだ(中国や東南アジアにもお歯黒に似た伝統がある)。赤と黒は、女性や歌舞伎役者の白い顔に非常に美しいコントラストを作り出し、目や口の表現力を高めるのだ。
 実は奈良時代、唐の影響を受けてもう一つ流行が生まれている。引眉(ひきまゆ)である。眉を剃り、細い弓形の眉を「掃墨」(はいずみ。焼いた胡麻油からとった墨)で描く。引眉を行うと、白粉を顔に塗るのが容易だったのだ。
平安時代には貴族の男性も化粧をしたが、この習慣は江戸時代以降、女性だけのものとなっていった。明治時代、そして特に第二次世界大戦後、西洋と西洋の流行に向けて門戸が開き、日本女性の化粧の中に他の色、特にピンク色が入ってくる。そして彼女たちは、日本の伝統的な化粧法を特徴付けてきた「白」への愛情を失っていった…。だがしかし、モデルの山口小夜子(1949-2007)が、あの伝統的で風格のあるオリエンタルスタイルを以って、日本女性の化粧法を見せ続けてくれた。滑らかな肌の澄んだ顔と目と口。つまりそれは、日本人の顔の自然な特徴を美しく際立たせるものであった。これこそが美白である。肌の白さは正に、高貴、純潔、繊細な美のシンボルである。

※『都風俗化粧伝』(みやこふうぞくけわいでん):佐山半七丸執筆、速水春暁斎(はやみ しゅんぎょうさい)画図の、江戸時代の美容指南書。当世流行の化粧、ファッション、身のこなしなどについて記されている。出版は京都堀川通の河南喜兵衛。1982年に、高橋雅夫 校注による活字本が平凡社より出ている。

フロリアーノ・テッラーノ

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