香道
宗教から毎日の生活まで、東アジアにおける香
香煙が東アジアの寺院を包み込み香の香りが漂っている。香煙は常に人と神、現世と天界を結ぶ役目をしてきた。香道とは香の芸道および文化を意味し、韓国や中国にも深く根付いている。また香の道とは、香の素材である良質な天然樹脂を中国や東南アジアから中東やローマ帝国時代以降のヨーロッパへ運んでいた道、かつてのシルクロードでもある。最も貴重な香、沈香(じんこう)“水中に沈む香”は、東南アジアや特にベトナムに樹勢しているアガールウッドから採れた良質な樹脂から作られている。また伽羅(きゃら)という、アガールウッドの香料の一種でさらに珍しく貴重なものもある。アガールウッドは腐敗させることで自然と芳香が放たれる性質がある。香りは苦悩や不調を取り除く植物療法として効果があり、香は浄化や、病気の回復など常に治療の目的にも使用されてきた。
香は仏教には欠かせない物であり、寺院では香をたいて祈祷する。祈祷は香煙により神(仏)に届くとされている。香の形には最も普及されている細長いタイプのもの、または香港の有名なMan Mo寺院 (文武廟) にある様な持続性のある大きな渦巻き状のタイプもある。どの寺院の入り口にも多種多様な香炉が置かれている。
香の文化は、東アジア諸国で様々な形で広がっていった。韓国では彫刻家の作品、Cheongiaという青磁の香炉が作られている。Baekjie王朝時代(백제、紀元前18年~西暦660年)の6世紀頃に遡るが、金色の蓮のつぼみの上に不死鳥が施されたとても華麗で贅沢な作りの香炉は韓国芸術の象徴の一つである。この香炉は現在、韓国の国宝としてBuyeo国立美術館に保管されている。(n.287)
香炉の象徴学では仏教徒と道教徒の要素は統一性があるとの思想があり、韓国の磁器の芸術家はGoryeo(고려、918-1392)時代の香炉のように自然の中にある形を活かした香炉を形成する。代表的な作品としてライオンの口から香煙がでる形や、Tugak技法で穴の開いた球体を花の上に乗せた作品は国宝として韓国国立美術館に保管されている。(n.95)
6世紀には仏教の普及に伴い、日本を含む東アジア全土にお香の文化が発展した。 一つの伝説がある - 595年、推古皇后が皇后になられて3年目の年に1本の木が淡路島の海岸に流れ着いた。その木は火の近くに置かれると周囲にすばらしい香りを放ったと言われている。
その伝説後、聖武天皇の皇后である光明皇后(701-760)は、聖武天皇が崩御された756年、奈良東大寺に建てられた正倉院に名香木の蘭著待(らんじゃたい)を保管している。
この蘭著待は聖武天皇によって中国から渡来したが、起源はおそらくベトナムかラオスだと言われている。また東大寺の高価な沈香の一片は、足利義政、織田信長、徳川家康、この3人の権力者だけが所持することを許されていた。
平安時代(794-1185)日本の香の文化は、香の師が存在するまさに芸術の粋に達した洗練されたものであった。当時貴族の間で広まった源氏香とは組み香の名前の一つ。香の香りをかぎ分けその名前を当てる遊びである。源氏香とは紫式部の源氏物語の各帖から名前が付けられている。
室町時代(1336-1573)には、香は個人的に信仰の篤い富裕層に扱われるようになり、富と権力の象徴に変化していく。沈香の何種類かの値段は金の値段を超えるまでになり、そのため高価な香を持っていることが権力があると見なされていた。ある伝説に、一人の大名が彼の権力を知らしめるため、全領土に一度に500グラム以上もの純粋な沈香をたいたといわれている。
実際も、武士は戦に行く前、最高の威信を保つために香の香りを満たした兜を使用していた。きっと敵に首を刎ねられた時、芳香が放たれたことであろう。
今日でも香は東アジアの文化には必要不可欠なものであり、寺院だけでなく一般家庭でも宗教に関係なく日々の生活の中で使われている。毎日香は、1965年設立の日本の会社、株式会社日本香堂(www.nipponkodo.com )の製品で、日本および世界で一番売られているお線香である。日本香堂は神仏用だけでなくアロマ用としても多種の香を生産している。製法は桃山時代(1568-1603)の伝統的な製法にヒントを得て、現代の製法と融合させて作られている。2005年より香の製造販売会社の中で韓国最大手のManbokhyang Dang (萬福香堂) 社(www.mbhd.co.kr )が日本香堂グループの傘下に入った。彼らは香りの文化を忘れつつある欧米諸国を見て、他の東アジア諸国のように、韓国での芸術や宗教においての香の重要性を見直す取り組みを行っている。
香は仏教には欠かせない物であり、寺院では香をたいて祈祷する。祈祷は香煙により神(仏)に届くとされている。香の形には最も普及されている細長いタイプのもの、または香港の有名なMan Mo寺院 (文武廟) にある様な持続性のある大きな渦巻き状のタイプもある。どの寺院の入り口にも多種多様な香炉が置かれている。
香の文化は、東アジア諸国で様々な形で広がっていった。韓国では彫刻家の作品、Cheongiaという青磁の香炉が作られている。Baekjie王朝時代(백제、紀元前18年~西暦660年)の6世紀頃に遡るが、金色の蓮のつぼみの上に不死鳥が施されたとても華麗で贅沢な作りの香炉は韓国芸術の象徴の一つである。この香炉は現在、韓国の国宝としてBuyeo国立美術館に保管されている。(n.287)
香炉の象徴学では仏教徒と道教徒の要素は統一性があるとの思想があり、韓国の磁器の芸術家はGoryeo(고려、918-1392)時代の香炉のように自然の中にある形を活かした香炉を形成する。代表的な作品としてライオンの口から香煙がでる形や、Tugak技法で穴の開いた球体を花の上に乗せた作品は国宝として韓国国立美術館に保管されている。(n.95)
6世紀には仏教の普及に伴い、日本を含む東アジア全土にお香の文化が発展した。 一つの伝説がある - 595年、推古皇后が皇后になられて3年目の年に1本の木が淡路島の海岸に流れ着いた。その木は火の近くに置かれると周囲にすばらしい香りを放ったと言われている。
その伝説後、聖武天皇の皇后である光明皇后(701-760)は、聖武天皇が崩御された756年、奈良東大寺に建てられた正倉院に名香木の蘭著待(らんじゃたい)を保管している。
この蘭著待は聖武天皇によって中国から渡来したが、起源はおそらくベトナムかラオスだと言われている。また東大寺の高価な沈香の一片は、足利義政、織田信長、徳川家康、この3人の権力者だけが所持することを許されていた。
平安時代(794-1185)日本の香の文化は、香の師が存在するまさに芸術の粋に達した洗練されたものであった。当時貴族の間で広まった源氏香とは組み香の名前の一つ。香の香りをかぎ分けその名前を当てる遊びである。源氏香とは紫式部の源氏物語の各帖から名前が付けられている。
室町時代(1336-1573)には、香は個人的に信仰の篤い富裕層に扱われるようになり、富と権力の象徴に変化していく。沈香の何種類かの値段は金の値段を超えるまでになり、そのため高価な香を持っていることが権力があると見なされていた。ある伝説に、一人の大名が彼の権力を知らしめるため、全領土に一度に500グラム以上もの純粋な沈香をたいたといわれている。
実際も、武士は戦に行く前、最高の威信を保つために香の香りを満たした兜を使用していた。きっと敵に首を刎ねられた時、芳香が放たれたことであろう。
今日でも香は東アジアの文化には必要不可欠なものであり、寺院だけでなく一般家庭でも宗教に関係なく日々の生活の中で使われている。毎日香は、1965年設立の日本の会社、株式会社日本香堂(www.nipponkodo.com )の製品で、日本および世界で一番売られているお線香である。日本香堂は神仏用だけでなくアロマ用としても多種の香を生産している。製法は桃山時代(1568-1603)の伝統的な製法にヒントを得て、現代の製法と融合させて作られている。2005年より香の製造販売会社の中で韓国最大手のManbokhyang Dang (萬福香堂) 社(www.mbhd.co.kr )が日本香堂グループの傘下に入った。彼らは香りの文化を忘れつつある欧米諸国を見て、他の東アジア諸国のように、韓国での芸術や宗教においての香の重要性を見直す取り組みを行っている。
フロリアーノ・テッラーノ
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